名前のないもの

もうずっと眠ったままだ。気持ちと行動が反比例している。風が秋の匂いに変わってきた。セミはいつの間にか鳴かなくなったし、その代わりに鈴虫が鳴くようになった。物事は順序よく運ばれていく。

相変わらずお母さんは憂鬱っぽいし妹はまるで不良少女だしこの家にいると身体がもたない。でもわたしには今のところここしか居場所がない。ずっと自分が居ていい場所を探し求めていた。でもいろんなところをめぐりめぐっても、結局帰ってくる場所はこの不恰好な家だけだ。

夜が寒いと感じるようになった。薄い掛け布団の中で小さく丸まって手嶌葵を聴きながら眠る。手嶌葵はとてもいい声を持っているね。羨ましい。羨ましい、わたしはいつも羨んでばかりだ。自分にないものを持っている人が羨ましくて憎たらしくて眩しい。羨望という感情は嫌悪に少し似ている。
さあ、みんな不幸自慢なんてやめよう。そんなことしたって誰も幸せにならない。でもみんなみんなが幸せになる瞬間なんてないとも思う。誰かの幸せは誰かの不幸の上に成り立っている。わたしはそう思うよ。一度満たされることを覚えてしまった人間は尽きるまで次のものを欲しがるし尽きても欲しがる。一度手に入れたものを失うのが怖いし手放したくないんだ。幸せのおすそ分けなんて、そんな偽善者っぽいことをするのは物好きか変わり者だけだ。

失ったものの数を数えるのも、自分にないものの数を数えるのも、もうしばらくやめたい。数え出したらキリがない。欠損ばかりのこの身体よ。