なにもできない

日本に帰ってきて一ヶ月と半分くらい過ぎたけれど(これは本当に、比喩ではなく)地元と私の波長がまったく合わないので、実家で毎日をごろごろと過ごしているというのに疲れがとれるどころかどんどん蓄積されていく。波長などというスピリチュアルじみた言葉を使ったけれど、人によって自分と合う人合わない人がいるのと同じように、土地によっても自分が持っているリズムと合う合わないがあるのです。これは本当。聞けば母も地元とは波長が合わないようで、若い頃はとにかく地元を離れたかったのに、母のお父さん、つまりわたしにとっての祖父が婿をとってこの家で暮らしなさいと母に言ったらしく、ひどく絶望したそう。結果的に母は父と結婚して日本を離れるんですが、父の仕事の関係でまた日本に戻ってきて、それも地元に、なのでわたしが母をいつかここから連れ出してあげたいなと思う。

最近夜になると前述の通り波長が合わないこともあってか、とても暗くじめじめした気持ちになってしまう。わたしには大好きな家族もいるしわたしのことを好きでいてくれる友人もいるのに、それなのにわたしには何もない、わたしは何者にもなれないという気持ちになってくる。わたしには何もあるしわたしはわたしでしょ、何者にもなれないって、わたしは一体何者になりたいんだ。
眠れない夜は、人の日記を読むのが好きなのでブックマークを開いて適当に目に留まった人の日記を読むんですが、みんないい文章を書くなと思う。隣の芝生は青いではないけれど、それに比べてわたしの日記は本当に貧相だと過去の日記を読み返して思った。それでも誰かしらはわたしの日記を読んでくれていて、わたしの日記なのに、一体わたしは誰に向けてこれを書いているのか。ネット上に公開している時点でこれはわたしの為だけの日記ではない。わたしの為だけなら手帳にでも書けばいい話。絵や歌や日記や、壁に向かって言えばいいじゃんみたいなつぶやきまで、本当にいろんなものが簡単に人に見せられる世の中になって、だから今の人って自己顕示欲や承認欲求に飢えてるのではという気がする。自分自身がそう。人からの評価が他人にも可視化される時代。だから人は他人と自分を比べて自分には何もないって、評価されてる人を見て自分は何者にもなれないって、そう思ってしまうんだ。ツイッター爆発したらいいのにってたまに思う。ツイッターというか、インターネットが爆発して一度0に戻ったら面白いのになって。

バイトの候補が二つ三つくらい見つかって、その中で1番惹かれたのが旅館で働くバイトなのだけど、①時給は1000円〜②交通費は支給される③着物で接客、もうこれはやるしかないと思った。今回電話したときは人事担当の方がいらっしゃらなかったのでもう一回電話を掛け直す。働けるといいな。わたしは暇があるとどうしても暗い気持ちになってしまうので。オシリスさんがブログで「ルールでしばってあげること、不便を与えてあげることは、人間の弱さに立脚したやさしさであって、何をしてもいい休日を与えられて部屋の中で何もしないことは、人間の生き物としての弱さと向き合い続けることと同じ」と言っていたけれど、わたしのこの虚無感はここからくるものなのかもしれない。だからか、わたしは自分のことなんて省みる時間がないくらい忙しい生活が好き。とは言え、大学生になったら嫌でもそういう生活になるのだろうし、せっかくのこの休暇、英語の勉強をしたり本を読んだり映画を見たり、自分のやりたいことをやって過ごそうと思った。聖書の勉強をすると世界史が面白くなると聞いたので分厚い旧約と新訳が一緒になった聖書を買った。何か一つでいいので極めたい。世界史オタクとかどうだろう。そうしたら大好きな世界史の先生とあんな話やこんな話ができるかもしれない。先生のフェイスブックを見つけて友達申請したのに、登録してる名前が違ったからかわたしと認識されなくて拒否されてしまった。今度学校に会いに行ったときに伝えよう。