ナツ

もうすっかり夏。日本に帰ってきてからというもの、夢を見るとそのほとんどに中高の友人が出てくる。そんなこともあってか、なんだか急に懐かしい気持ちになり、あの頃のわたしはどんなものを見てどんなことを考えてどんなことを綴っていたのだろうかと、興味半分恐れ半分、久しぶりにナノにログインして自分の日記やリアルタイムを読み返した。その当時の人たちのサイトを見て回ったりもした。日記やリアルタイムには16、17、18、19歳を生きたわたしのすべてが詰まっていて、読み返しているとあの当時のことがするすると思い出されてきゅっと恥ずかしくなった。恥ずかしくなったということは少しは大人になれたのだろうか。というか少しくらいは成長していてくれないと困るのだけれど。
高校生のころのわたしはひどく痛々しくそして馬鹿で、でもあの頃のわたしにはあれがすべてだった。すべてというと語弊があるけれど少なくともわたしの血や肉がそこにあった。
2012年頃のわたしはレインちゃんのことをまだ工藤さんと呼んでいて、ともおちゃんのことをねむる子さんと呼んでいて、山口くんのことを山口さんと呼んでいた。ゆれるさんは今と変わらずゆれるさん。ゆれるさんのこともゆきのさんと呼んだほうがいいのだろうか。
むかしはくるるがツイッターで「ネットで仲良くなる人のことを素性の知れない不埒な相手だという人がいるけど実際にサークル等で知り合って声や表情や家族構成を知ることよりもどんな日記をどんな文章で書くのかということやどんな夏を大切にしているのかを写真で知ることや深夜に投稿される昔話のほうがよっぽど素性という感じがする」と言っていたけど、まさしくそれで、わたしはサイトを通してこういった人たちがどんな日記を書くのかどんなことを思っているのかどんな本を読んでどんな音楽を聴くのかを知ることができたこと、そしてわたしのこういったところを見せた相手が未だにわたしの友人として存在していてくれること、それが何よりわたしに残ったものだと思う。青春時代にこういったインターネットを経験したことがこれからわたしのどんな種になるのかはわからないけれど、インターネットの中に偶像を見てしまったことがわたしの過ちだったと書いたこともあったけれど、それでもこういう経験をしてこなかった学校の友人達よりはたくさんのものを吸収したし学んだとわたしは思っている。思いたいだけかもしれない、清算して美化したいだけかもしれない。でも。

父の昇進と、埼玉への転勤が決まった。世の中で家族の大黒柱が出世して悲しんでる家族はうちくらいでしょう。これから父の引っ越しの準備で忙しい。