ビリー・ジーンを今夜

東京⑵はまた時間があるときにゆっくり書こうと思います。会いたい人たちに会ってきました。東京は人と会うための場所になりそう。

おととい自転車で転んで擦りむいた膝がずっと痛い。えんえんと出続けていた変な色の体液はようやく止まることを覚えたらしい。怪我したところを治そうと頑張ってるんだね、よしよし頑張れ。こうやって人間は自分で治っていく力があるのだから、変に人間が手を加えずになるべくして生き、なるべくして死んでいけばいいんじゃない、なんて心にも思っていないことをぺらぺらと書いています。私は病気になったらきちんとお医者様に治していただきたいし早死は嫌。
人はなぜ血を流すと興奮してしまうのかということを考えて、それは人間が馬鹿なので単純に赤色を見て興奮しているのではという仮説に至ったけど、おととい流血したとき外暗くて赤色見えなかったけど気持ちの高まりを覚えたしあんまり関係ないのかも。盛大にスリップして履いてたズボンが破けて膝からどくどく血が出てきてすごい痛くて悔しくて涙も出てくるのに冷静に自分の流血した部分の写真を撮っていた。現代っ子なのでなんでも写真に撮る。

誰かに憧れるのをやめたいと思っているうちは永遠に憧れ続けるのだろうと思う。好きは嫌いの裏返し。嫌いは好きの裏返し。ならわたしのこの気持ちは一体なんの裏返しだというのか。永遠に名前のないあなたを憧憬し恨み続けるのかと思うと思わず深いため息が漏れる。わたしがわたしになるまでは。こんなことをもう何年も言っている気がする。

日記は文明の利器だよね。時間という制限を超えて過去の私を知り得ることができるしその過去の私が現在の私に影響を与える。わたしが日記を書くのはその日の答え合わせをするというよりは、きっと、正当化をしているのだと思う。答え合わせなら間違った解答にペケをつけなきゃだけど、わたしは間違った解答に丸をつける作業をするために日記を書いている。現代っ子なので力技でねじ伏せる。

あと3日で日本を去るけどなにか思い残すことないかなって思ってそういえばデスノートのドラマ最終話見れないんだーってそんなのが心残りなのかよって笑った。

メモのためのメモ

新しくブログが作りたいなと思う夜。ブログというか、もっと手軽に気軽に、メモを書き残すための場所がほしい。ツイッターに書けばとも思うのだけど、ツイッターはどんどん流れていくからメモには不向きだし、そもそも誰もそんなもの見たくないでしょ。ここは日記を書くための場所だし、筆を執るとそれなりに推敲してしまう、そんなのはダメ。ぜんぜん手軽じゃない。そのうち作ろう。作ったら作るぞ。

● 映画・漫画・小説→微分する
● 英語・世界史・漢字・語彙→頑張ろうね
● 夢を見たら覚えてるかぎり記録する
● 嫌いなものを積極的に→理由を考察

私はこんなことやってる場合じゃなかった。今も忙しいけど5年後は今の十倍忙しくなっていて欲しい。そのためのモラトリアム期間。
明石くんが大学卒業したら社会人やりながら医学部に再受験しようかなとか言い始めていいじゃんって思った。

自分がやりたいことをやるためにはそれなりの対価が必要。

東京 ⑴

東京の夏はひどく蒸し暑かった。吹いてくる風はちっとも涼しくない。もわっと湿気を帯びた空気の塊が、汗をかいて濡れた肌を嫌な感じで撫でていく。立っているだけで汗がにじんでくるのがわかる。そんな熱暑のなか、私は少し緊張した面持ちで東京駅を目指した。

その日は午前中から外務省と大使館を駆け回った。パスポートの更新と、大学の入学時に必要な書類にアポスティーユなる証明書をもらうための申請に。待ち合わせの時間は午後1時半になっていたけれど、待たせるのも嫌だし、できるだけはやく着きたいという一心で気持ちが焦った。長引く申請の手続きに内心苛々しながらようやくすべての用事を済ませると、午後1時20分、私は東京メトロの丸の内線に飛び乗った。国会議事堂前から東京駅まで約6分。その時間がやけに長く感じて、一駅一駅と東京に近づくにつれて緊張の度合いも強くなり、やっと着いたときにはもう、半分帰りたいような気持ちになってしまっていた。
待ち合わせの場所は東京駅のKITTEという店の中にある、吹き抜けになったところ。でもどこを探しても見当たらなくて、どうやら私は地下1階を彷徨っていたようだった。本来の待ち合わせ場所は1階であることが分かって、エスカレーターに乗って地上にあがると、そこにゆれるさんは立っていた。上から下まで真っ白い服を着ていて、赤いトランクが目を引いた。四年くらい前からの顔見知りだし、電話をしたこともあるしお手紙のやり取りをしたことだってあるのに、そこにゆれるさんがいることがなんだか信じられなくて、恐る恐る近づいて話しかけた。近くで見るゆれるさんは目がすっごく大きくて、その大きな目から生えた長い下睫毛はピンク色に塗られていた。顔と顔を見合わせて話すと、その大きな瞳に飲み込まれるような心地がした。

ゆれるさんとは高円寺へ。私の中で東京というと、原宿とか渋谷とか浅草とかそういうメジャーなところよりも、たぶんネットのサブカルな人たちのせいなんだけど、高円寺のイメージが強くて、一度高円寺に行ってみたいと思っていたので案内してもらえて良かった。お昼は適当に入ったお店でランチのチキンソテーを。丸ごと焼いてある玉ねぎのグリルがとても美味しかった。高円寺にある服はどれを取っても私の住む町にはないものばかりで心が踊った。次にくる時には50万円くらい持ってきて東京で散財したいと思った。化粧品も服も人もみんな、東京色だった。

服を見たあとは新宿へ向かい、喫茶店でお茶をしながら話をした。ゆれるさんが吸う煙草の煙をずっと見ていた。

あっという間にお別れの時間になり、喫茶店を出た。ゆれるさんは新宿駅の人混みの中にみつさんと消えた。私は原宿へ向かった。


ナツ

もうすっかり夏。日本に帰ってきてからというもの、夢を見るとそのほとんどに中高の友人が出てくる。そんなこともあってか、なんだか急に懐かしい気持ちになり、あの頃のわたしはどんなものを見てどんなことを考えてどんなことを綴っていたのだろうかと、興味半分恐れ半分、久しぶりにナノにログインして自分の日記やリアルタイムを読み返した。その当時の人たちのサイトを見て回ったりもした。日記やリアルタイムには16、17、18、19歳を生きたわたしのすべてが詰まっていて、読み返しているとあの当時のことがするすると思い出されてきゅっと恥ずかしくなった。恥ずかしくなったということは少しは大人になれたのだろうか。というか少しくらいは成長していてくれないと困るのだけれど。
高校生のころのわたしはひどく痛々しくそして馬鹿で、でもあの頃のわたしにはあれがすべてだった。すべてというと語弊があるけれど少なくともわたしの血や肉がそこにあった。
2012年頃のわたしはレインちゃんのことをまだ工藤さんと呼んでいて、ともおちゃんのことをねむる子さんと呼んでいて、山口くんのことを山口さんと呼んでいた。ゆれるさんは今と変わらずゆれるさん。ゆれるさんのこともゆきのさんと呼んだほうがいいのだろうか。
むかしはくるるがツイッターで「ネットで仲良くなる人のことを素性の知れない不埒な相手だという人がいるけど実際にサークル等で知り合って声や表情や家族構成を知ることよりもどんな日記をどんな文章で書くのかということやどんな夏を大切にしているのかを写真で知ることや深夜に投稿される昔話のほうがよっぽど素性という感じがする」と言っていたけど、まさしくそれで、わたしはサイトを通してこういった人たちがどんな日記を書くのかどんなことを思っているのかどんな本を読んでどんな音楽を聴くのかを知ることができたこと、そしてわたしのこういったところを見せた相手が未だにわたしの友人として存在していてくれること、それが何よりわたしに残ったものだと思う。青春時代にこういったインターネットを経験したことがこれからわたしのどんな種になるのかはわからないけれど、インターネットの中に偶像を見てしまったことがわたしの過ちだったと書いたこともあったけれど、それでもこういう経験をしてこなかった学校の友人達よりはたくさんのものを吸収したし学んだとわたしは思っている。思いたいだけかもしれない、清算して美化したいだけかもしれない。でも。

父の昇進と、埼玉への転勤が決まった。世の中で家族の大黒柱が出世して悲しんでる家族はうちくらいでしょう。これから父の引っ越しの準備で忙しい。

なにもできない

日本に帰ってきて一ヶ月と半分くらい過ぎたけれど(これは本当に、比喩ではなく)地元と私の波長がまったく合わないので、実家で毎日をごろごろと過ごしているというのに疲れがとれるどころかどんどん蓄積されていく。波長などというスピリチュアルじみた言葉を使ったけれど、人によって自分と合う人合わない人がいるのと同じように、土地によっても自分が持っているリズムと合う合わないがあるのです。これは本当。聞けば母も地元とは波長が合わないようで、若い頃はとにかく地元を離れたかったのに、母のお父さん、つまりわたしにとっての祖父が婿をとってこの家で暮らしなさいと母に言ったらしく、ひどく絶望したそう。結果的に母は父と結婚して日本を離れるんですが、父の仕事の関係でまた日本に戻ってきて、それも地元に、なのでわたしが母をいつかここから連れ出してあげたいなと思う。

最近夜になると前述の通り波長が合わないこともあってか、とても暗くじめじめした気持ちになってしまう。わたしには大好きな家族もいるしわたしのことを好きでいてくれる友人もいるのに、それなのにわたしには何もない、わたしは何者にもなれないという気持ちになってくる。わたしには何もあるしわたしはわたしでしょ、何者にもなれないって、わたしは一体何者になりたいんだ。
眠れない夜は、人の日記を読むのが好きなのでブックマークを開いて適当に目に留まった人の日記を読むんですが、みんないい文章を書くなと思う。隣の芝生は青いではないけれど、それに比べてわたしの日記は本当に貧相だと過去の日記を読み返して思った。それでも誰かしらはわたしの日記を読んでくれていて、わたしの日記なのに、一体わたしは誰に向けてこれを書いているのか。ネット上に公開している時点でこれはわたしの為だけの日記ではない。わたしの為だけなら手帳にでも書けばいい話。絵や歌や日記や、壁に向かって言えばいいじゃんみたいなつぶやきまで、本当にいろんなものが簡単に人に見せられる世の中になって、だから今の人って自己顕示欲や承認欲求に飢えてるのではという気がする。自分自身がそう。人からの評価が他人にも可視化される時代。だから人は他人と自分を比べて自分には何もないって、評価されてる人を見て自分は何者にもなれないって、そう思ってしまうんだ。ツイッター爆発したらいいのにってたまに思う。ツイッターというか、インターネットが爆発して一度0に戻ったら面白いのになって。

バイトの候補が二つ三つくらい見つかって、その中で1番惹かれたのが旅館で働くバイトなのだけど、①時給は1000円〜②交通費は支給される③着物で接客、もうこれはやるしかないと思った。今回電話したときは人事担当の方がいらっしゃらなかったのでもう一回電話を掛け直す。働けるといいな。わたしは暇があるとどうしても暗い気持ちになってしまうので。オシリスさんがブログで「ルールでしばってあげること、不便を与えてあげることは、人間の弱さに立脚したやさしさであって、何をしてもいい休日を与えられて部屋の中で何もしないことは、人間の生き物としての弱さと向き合い続けることと同じ」と言っていたけれど、わたしのこの虚無感はここからくるものなのかもしれない。だからか、わたしは自分のことなんて省みる時間がないくらい忙しい生活が好き。とは言え、大学生になったら嫌でもそういう生活になるのだろうし、せっかくのこの休暇、英語の勉強をしたり本を読んだり映画を見たり、自分のやりたいことをやって過ごそうと思った。聖書の勉強をすると世界史が面白くなると聞いたので分厚い旧約と新訳が一緒になった聖書を買った。何か一つでいいので極めたい。世界史オタクとかどうだろう。そうしたら大好きな世界史の先生とあんな話やこんな話ができるかもしれない。先生のフェイスブックを見つけて友達申請したのに、登録してる名前が違ったからかわたしと認識されなくて拒否されてしまった。今度学校に会いに行ったときに伝えよう。

バイトをするために日本に帰ってきたようなものなのにこの時期はなかなか短期のバイトを採ってくれるところがなくて、それなら語学学校にそのまま通っていれば良かったと思った。引き続きバイトは探すつもりでいるけれど。

インターネットなんかクソ食らえ絶対やめてやると思うときが定期的に来る。インターネット、という言葉を使うあたりがもうアーという感じ。アーだよ。わたしはここ1、2年の間に自分のアーなところをだいぶ捨ててきたと思ったけど、結局根っこのところがまだ何も変われていないんだなと感じる。正直この根っこの部分は21年間生きてきた中で少しずつ少しずつ地中に伸びて根を張っていったものだから、そんなすぐに変わるはずがないといえばそうなのだけど。
留学して少しは前向きな性格になれたかなと思ったけどぜんぜんそんなことなかった。単に忙しくて自分を見つめる時間がなかっただけ。

7月にパスポートの更新の関係で東京へ行く。会いたい人たち全員に会いたいな。

世の中はエイプリルフールらしい

びっくりする。もう4月。あんなに寒かった冬ももう終わったのだと思うと少しだけ寂しい。語学学校も終わり。冬学期はいいクラスメイト達に恵まれて、楽しい時間を過ごせた。春の学期は大学の入学準備やらで時間がないのと、久しぶりに日本に帰りたいので通わないことにした。

学校が終わってから毎日家でだらだらと過ごしているけど、正直何もない休暇というのは退屈でしかないので、今日は適当に服でも見て美味しいものを食べようと思って出かけた。外はすっかり、もう本当に春だった。買ったばかりのコートと靴が可愛くて気分がいい。服を着るというよりは気分を着ると言ったほうが適切かもしれない。

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歩いている途中で見つけたワッフルを扱っている小さな喫茶店に入った。細い階段を少し上ったところにその喫茶店はあって、入ろうか迷っていたらマスターらしきおじさんにいらっしゃいと言われたので引かれるように入店。奥の薄暗いライトの席に座った。Lampという名前の喫茶店なのだけど、店内は小さなランプの灯りがぽつぽつと点いていて、名前ぴったりな可愛い喫茶店だと思った。メニューを見てぱっと目に入ったワッフルとコーヒーのセットを注文する。昔からコーヒーが苦手でとくにブラックコーヒーはまったく飲めなかったんだけど、おしゃれな雰囲気に飲まれて思わず注文した。だってブラックコーヒーが飲めるってなんか格好いいじゃないですか。本でも持ってくればよかったと思った。おしゃれなインテリアとおしゃれな音楽とおしゃれなライトアップの下でスマホをいじるのは恥ずかしい。いい匂いと一緒に運ばれてきたワッフルは、もちもちとしていて柔らかいホイップクリームと一緒に食べるととても美味しかった。コーヒーも、すんとした味で、香ばしいいい香りがした。

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喫茶店を出たあと、また少し服を見て、それから屋台で売っていたピザトーストを買った。ピザトーストを食べながら帰宅。

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